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Story

商品開発秘話

カニカマ

運命を変えた、奇跡の失敗作

当初は人工クラゲを開発していた

珍味業界では、珍味に使う原料として中国からクラゲを輸入していた。しかし、1960年代後半、中国との国交が悪化しクラゲの輸入がストップする。業界は、その代替品の開発を早急に求めていた。

1970年、スギヨは新製品開発のための研究所で代替品の研究開発を開始。試行錯誤の末、アルギン酸、卵白、塩化カルシウムを使い、クラゲに近い食感を再現できた。だが、調味付けをすると食感がまったく違う別物になってしまった。

失敗作から生まれた、ひとつの希望

人工クラゲの製造に行き詰まり、諦めかけていたその時、たまたま刻んで食べてみた食感がまさにかにの身そっくりだと気付いた。繊維状の食感でヒントを得た杉野芳人専務(当時)は、「われわれの本業である蒲鉾なら、調味付けができるはずだ」と材料に蒲鉾を使うことを提案、人工クラゲから人工カニ肉開発へと舵を切った。
※杉野芳人は後に社長となる(スギヨが練り物を作り始めてから5代目)

蒲鉾を使用して出来上がった試作品を食べてみると、味と口当たりがカニの身そっくりだったので、開発チームは心が浮き立った。そして1972年、世界初のカニ風味かまぼこ「かにあし」を発売することとなる。

予想が一転、百年に一度となる大ヒット

開発したかにあしを築地市場に持ち込んだときは、「刻んだ蒲鉾なんか売れない。」と、ほとんどの問屋が口をそろえて言った。しかし、一つの問屋だけが、面白い着想だと言って興味を持って買い取り、かにあしを売り出してくれた。開発陣は、祈るような気持ちで反響を待った。

すると、市場に出した途端にたちまち話題になり、いきなり大ヒット製品へと登りつめる。二ヶ月ほどで爆発的な売り上げを達成し、増産に次ぐ増産となったのだ。当時はかにあしを積んだトラックが市場に到着すると、業者が奪い合いになるほどの人気製品となった。

当時のフレーク状かにあし製造工場

その後ゴールデンかにあしを発売

ゴールデンかにあし製造工場

本物を目指し、さらなる進化を遂げる

世界初のカニカマの誕生以降も、スギヨはさらなる研究開発を進め、2004年にはより本物のカニに近づいた製品「香り箱」を発売し、業界を驚かせた。

高度な分析力や、様々な専門知識を持った技術者による、固定概念にとらわれない研究スタイルが、新たな奇跡を呼びこんだのだろう。今後も「本物の蟹を超えたカニカマ」を合言葉に、開発チームは挑戦を続ける。

history
カニカマの歴史

1972(昭和47年)
カニ脚肉のようなフレーク状の蒲鉾がスギヨにおいて発明され、「かにあし」と名付けて販売する。カニカマ第1世代のはじまりだ。
1974(昭和49年)
広島の大崎水産で、繊維状の蒲鉾を棒状に結束した「カニスティック」が発売されるなど、カニ蒲鉾を生産する企業が急速に増加する。スティック状のカニカマのブームでカニカマ第2世代へと突入する。
1975(昭和50年)
12月〜翌年2月、フレーク状の刻み蒲鉾を魚肉すりみでカニ脚状に結着させたカニ蒲鉾、「ゴールデンかにあし」を発売する。
1981(昭和56年)
「竹輪」「蒲鉾」等とともに、水産煉製品の項目に「かに風味」として統計される。
1990(平成2年)
実際のカニ脚の繊維の形状により近い「ロイヤルカリブ」発売。カニカマ第3世代へと突入する。
2004(平成16年)
最高級カニカマ「香り箱」を発売する。(ズワイガニのメス)
本物を超えたと言われるカニカマ第4世代が幕を開けた。
2006(平成18年)
香り箱」で農林水産大臣賞、天皇杯を受賞。
2007(平成19年)
大人のカニカマ」を発売する。(ズワイガニのオス)
2014(平成26年)
大人のカニカマ」で農林水産大臣賞を受賞。